Online edition: ISSN 2434-2327
Print edition: ISSN 2434-2335
学術誌の新しいありかたを実験するための学術誌 Journal of Science and Philosophy (JSP)
第2巻第1号(2019年3月)
2019年3月31日 発行
- 創刊号から約半年を経て
- K4タブローによる妥当性判定と濾過法
- アリストテ㆑スにおける言語行為としての述定 ——桑原への簡潔なコメント——
- 知識の獲得と観察の理論負荷性
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創刊号から約半年を経て
杉尾 一 (上智大学 文学部 哲学科 / JSP 編集委員)
https://orcid.org/0000-0002-6881-900X
https://doi.org/10.50857/jsp2.1.1
昨年、やまなみ書房から Journal of Science and Philosophy (JSP) の第1巻 第1号 (創刊号) を刊行した。幸いなことに多方面から反響があり、今回の第2巻第1号では、投稿者の中から若き俊英3名(高木翼氏(論理学)、横路佳幸氏(分析哲学)、山口真子氏(科学哲学))の論文を厳選し、掲載させて頂くこととなった。本稿では、各氏の論文について簡単に紹介したい。
K4タブローによる妥当性判定と濾過法
高木 翼 (法政大学 文学部 哲学科)
https://orcid.org/0000-0001-9890-1015
https://doi.org/10.50857/jsp2.1.4
※本文は日本語です
One of the difficulties of modal logic K4 is that the tableau may be infinitely long and the validity of a formula cannot be determined. However, an infinite counter-model of the formula can be constructed by finding a pattern of the infinitely long tableau. In order to transform the infinite counter-model into a finite counter-model, we should suppose that reflexibility holds in the part of the same infinite prefixed formula except for their prefixes. In this paper, I show that this transformation is the special case of filtration method.
アリストテレスにおける言語行為としての述定 ——桑原への簡潔なコメント——
横路 佳幸 (慶應義塾大学大学院 文学研究科 哲学・倫理学専攻)
https://orcid.org/0000-0002-7501-5384
https://doi.org/10.50857/jsp2.1.24
[著者PR]
かつて、古典哲学と分析哲学は蜜月の関係にあった。古典哲学者は分析哲学から新しい知見と発見を吸収し、分析哲学者は古典哲学で得られた成果を思想的源泉としていた時代が、確かに哲学にはあった。しかし、研究の細分化は成熟したあらゆる分野が迎えるべき宿命である。蜜月時代は、いまやふるきよき昔話となりつつある。
本討論は、この現状に一石を投じるべく、分析哲学者(横路佳幸)が同世代の古典哲学者(桑原司)に送る、挑戦状である。
取り上げるのはアリストテレスにおける「述定」である。たとえば、我々が「ソクラテスは人である」という形式の述定をおこなうとき、我々は一体いかなることをなしているのだろうか。最新の論文で桑原は、述定を新しく言語行為(speech act)の一種として理解し、この解釈は従来の標準的な解釈と対立すると論じた。
しかし本論文で横路は、言語行為の中でも特に主張(assertion)に着目することで、「主張としての述定」が桑原の解釈と整合的であること、そして桑原の解釈が必ずしも標準的な解釈と対立しないことを示す。その結果、桑原の議論には看過しがたい不備と問題が残ると横路は結論づける。
奇しくも、蜜月の黄金期に活躍したJ. L. オースティンに由来するアイディア「言語行為」を討論の中心に据えながら、いま、分析哲学が古典哲学に、再会を果たす。
討論の対象となる桑原の論文は以下で閲覧することができます。
http://digital-archives.sophia.ac.jp/repository/view/repository/20171114017
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知識の獲得と観察の理論負荷性
山口 真子 (上智大学 文学部 哲学科)
https://orcid.org/0000-0001-6504-6753
https://doi.org/10.50857/jsp2.1.37
この論文では、アメリカの科学哲学者ノーウッド・ハンソンが主張した「観察の理論負荷性」を取り挙げていく。これは、「何を現象として観察できるかということは、前提となる理論が決定する」ということを示している。この主張は、1958年に出版された『科学的発見のパターン』でなされた。この本が出版された20世紀半ば、科学哲学の分野では、論理実証主義に影響を受けた研究やポパーの反証主義に基づいた研究が主流であった。これは、科学哲学の研究が、科学史とはあまり関わらない形で理論中心に展開されてきたことを示している。しかし、ハンソンの登場によって、科学哲学の研究は変わることになる。それは、科学哲学の研究において、科学史を考慮する研究へと変わったことだ。ここから、ハンソンが示したような科学哲学の立場は「新科学哲学」と呼ばれている。
本論文では、ハンソンが「観察の理論負荷性」をどのように科学の分野で主張したのかを明らかにしていく。そのうえで、「観察の理論負荷性」が科学史上でどのように展開されてきたのかを検討していきたい。一方で、科学史というのは我々が理論負荷を乗り越えてきた歴史といえるだろう。そこで、科学史上で乗り越えてきた事例が、観察の理論負荷性においていかに考察されうるかについて検討していきたい。これは、我々が認識したものを体系化して、知識として獲得するプロセスの基礎構造を明らかにすることにつながっていく。
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